◆亦楽山荘
(えきらくさんそう)
亦楽山荘は、笹部新太郎氏(1887~1978)がサクラの品種改良や接ぎ木などの研究のために1912年(明治45年)に拓いた演習林で、当時は全国から集められたヤマザクラやサトザクラが30種、5,000本以上も植えられていました。笹部氏は、この演習林に中国の詩人・蘇東坡の漢詩の一節から「亦楽山荘」と名付けました。しかし、笹部新太郎氏の没後、長く放置され荒れ放題となっていましたが、ご遺族のご寄付と宝塚市の購入によって市有林となり、1999年(平成11年)4月に宝塚市の里山公園「桜の園」としてオープンしました。
◆櫻守の会
1999年(平成11年)3月に宝塚市と宝塚消費者協会の共催で、亦楽山荘で市民参加による桜の植樹会が開催され、およそ100本のヤマザクラを移植しました。その際、移植したヤマザクラの手入れを継続的に行っていく必要があることから、植樹会参加メンバーの有志が中心となって同年4月にボランティア団体「櫻守の会」が発足しました。会の名称は、亦楽山荘を舞台とする水上勉氏の小説「櫻守」から、「櫻守の会」としました。その後、亦楽山荘以外の「山手台」、「ゆずり葉の森」、「青葉台」、「武庫山の森」と活動地を広げています。
◆笹部新太郎(1887~1978)
大阪の堂島に生まれた笹部氏は、東京帝国大学法学科(現・東京大学法学部)在学中から桜の研究を始め、本来の日本の桜であるヤマザクラ、サトザクラの保護育成に生涯を捧げた。大阪造幣局の通り抜けの桜、西宮市夙川、甲山周辺の桜の管理指導など多くの桜に関する事業を手掛けた。
水上勉氏の小説「櫻守」は武田尾・亦楽山荘を舞台としており、小説に
登場する「竹部庸太郎」は笹部氏をモデルにしている。